私の母は4人の男の子を産み、育てた。
京都で父と出会い、結婚し、兄と私を産んだ。
父が広島のお寺を継ぐことになり、一家は京都を離れた。
母は、関西の肝っ玉おかんから広島のお寺の坊守となった。
母は少し抜けている。
というか、変わっている。
私が6歳ぐらいの秋のある日、お寺に賽銭泥棒が入った。
兄が10歳で、弟は4歳か。
そのとき、私たち兄弟は、兄の友人たちと境内で野球をしていた。
大きな灰色のバンが境内に入ってきて、男性がふたり降りてきた。
大柄の方の男性に「お父さんお母さんは?」と聞かれ、兄は恐る恐る「いない」と答えた。
知らない大人が怖かったのか、子どもたちは境内の隣の広場、通称「ゲートボール場」へ移動した。
さきほどの闖入者のことなどすっかり忘れて、子どもたちは野球を楽しんだ。
あかね空にカラスが鳴く頃、私たち兄弟は家に帰ってきた。
すると、すでに帰宅していた両親がうわずった声で話している。
私たちを見つけると「子どもたち、ちょっと集合」と父がどこかおどけた調子で言った。
「賽銭箱がないんや。知らんか?」
顔を見合わせながら、私と弟は兄に頼った。
「さっき、おっきな車、入ってきた」
兄の唾を飲み込む音が聞こえた。
「それで?」
父の目は輝きを増した。
「怖いから、ゲートボール場、行った」
「おっきな車やった」
「知らん人やった」
口々に状況を説明する兄と私と弟。
本堂の縁側の賽銭箱があった場所には、犯人のものと思われる靴跡が残されていた。
母はヒステリックに「警察呼ばな」と叫び、足早に母屋に駆けていった。
私たち兄弟は他人事のようにはしゃいだ。
「うちにケーサツが来るなんて」と、まるでスペクタクルショウでも始まるものと目を輝かせて待っていた。
おぼろげな記憶ながら、いったんキレイな服に着替えさえしたのではなかったか。
数十分後、警察が到着し、実況見分が始まった。
私たち兄弟は、柱の陰から息を殺して見守った。
しかし、すぐにお開きになった。
「なにも手がかりがないですね」
その言葉に驚いた様子の父が言った。
「靴の足跡があったと思うんですが」
目をしばたかせる警察官。
「どこですか」
賽銭箱があったあたりを覗き込む父と子どもたち。
うしろから母がぬっと現れた。
「いやアタシ、警察の方来はるから、綺麗にしとかなアカン思て」
そこでいったん言葉を切った母は、伏し目がちに続けた。
「ダスキンかけてしもたわ」
母は来年、古希。
「親孝行 したいときには 親はなし」
そんなことにはならないように、とつねづね思っている。