黒澤明の『夢』やルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの『アンダルシアの犬』など、作り手が夢で見た光景を映画化した作品は比較的多くある。
あるいは夏目漱石の短編集『夢十夜』やハワード・フィリップス・ラヴクラフトの『忘却の彼方へ』など、夢を題材とした小説も枚挙にいとまがない。
シュールなものや奇怪なもの、願望を充足するものなど種類はさまざまあれ、たしかに夢は創作のための豊かな源泉なのだろう。
漱石よろしく、こんな夢を見た。
山間の村、田んぼの畦道にトラクターがとまっている。
民家はまばらで、コンビニなどあろうはずもない。
私はそこの村役場に勤めていて、少し年下の同僚女性にほのかな恋心を抱いている。
いわゆる独身貴族というやつで、何不自由なくのほほんと暮らしていた。
あるとき、警察がやってくる。
私を逮捕しに来たのだ。
その時になってやっと私は取り返しのつかないことをしてしまったと恐れおののく。
私はどうやら人を殺したことがあるらしい。
時期や方法ははっきりと覚えていないのだが、殺めた記憶はたしかに残っている。
夢ではなく、これは現実なのだ。
現実に私は人を殺し、後ろめたさもなく今まで暢気に暮らしてきたのだ。
猛烈な恐怖と後悔に襲われ、自分の人生に起こったことの大きさに向き合うことができない。
絶望に打ちひしがれたまま、今後の行く末を案じていると目が覚める。
よかった、夢だった。
汗ぐっしょりのベッドから起きて熱いコーヒーを淹れる。
湯気と苦味でようやく覚醒してきた頃、急に漠とした不安に駆られた。
待てよ、あれは夢ではない。
私はやはり人を殺したことがある。
あれは逃れられない事実で、夢オチなんかではなかったのだ。
恐ろしい。
死刑になることよりも人を殺めた事実が恐ろしい。
これは今後、私が一生をかけて向き合うべき問題なのだ。
どうすればいい。
頼るべき人もいない。
私は破滅だ。
と、いう夢を見た。
悪夢だと思ったら現実だった、という夢ほど怖いものはない。
夢から醒めてもまだ夢の中、いわば夢の階層というアイデアは映画『インセプション』の影響だろう。
こうなるともう、今この瞬間の現実さえ疑わしくなってくる。
いつかこの夢からも目覚める時が来るのではないか。
まったく違う現実が、何事もなかったかのようにまた始まるのではないか。
そしてそれもまた悪夢のような現実で。
以下、繰り返し。
疲れてるのかもしれない。
休みが必要だ。
いや、やっぱり、たんに映画の見過ぎだろう。