パンドラの箱から邪悪なものがドバッと飛び出したあと、箱の底に残ったのは希望だったという。
いまわたしの体からは、ドロドロとした邪悪なものが出まくっている。
毒も油も酒も薬も。
涙も正義も愛も観念も。
カントいわく、わたしたちは物自体としての対象を直観することはできない。
目の前にあるものがりんごだと思うのは、わたしたちの目や口や鼻が、りんごの色や味や香りを認識しているに過ぎないのだという。
感覚器官を通して認識できる範囲でりんごを知覚しているのであって、りんごそれ自体の実態には永遠に近づけない。
あるいは、ショーペンハウアーの言葉を借りれば、わたしたちの世界認識はすべて表象である。
表象とはイメージのようなもので、「あの娘いまごろ何してるだろ」と頭にポワポワ浮かぶ想像や、鏡に映った自分の醜い反射像などもそう。
そして、表象の裏にある実態、つまりカントが言うところの物自体は、ショーペンハウアーによれば、それは意志である。
しかもそれは、生きようとする盲目的な意志だという。
その意志がさまざまな表象をまとって、わたしたちの目の前に現れている。
頭痛くなってきた。
わたしが赤いと思っている色は、あなたにとっても赤い色なのか。
わたしが赤と呼んでいる色は、あなたには「わたしにとっての緑色」に見えているのではないか。
こんなこと、一度は空想したことがあるだろう。
あるいは、前を歩いているあの赤の他人は、その角を曲がってわたしの視界から消えても、まだまっすぐ前を向いて歩き続けているだろうか。
みんなわたしの映画の登場人物でしかなく、カメラの画角から外れたら「お疲れしたー」とそそくさと帰っていくのではないか。
これは映画『トゥルーマン・ショー』の中で、ジム・キャリーが苦悩するテーマでもある。
わたしとはだれか。
あなたとはだれか。
あなたとわたしはどこまで認識し合うことができるのか。
わたしはあなた自体には永遠に近づけない。
あなたも私の何を知る。
ぐるぐるぐるぐる、回って回って、いっこうに近づけない連星みたい。
知りたいから手を伸ばし、抱きしめたいからサヨナラするのね。
阪急西宮北口駅は、京阪神地域では比較的大きめのジャンクションで、神戸本線と今津線が通っている。
西北、もしくは北口と略すのが一般的だが、わたしは前者。
ニシキタがキムタクみたいでかっこいいし、西北の南東出口というギャグみたいな待ち合わせ場所もお気に入りだ。
今津線宝塚方面の2駅目に甲東園という駅がある。
20歳から22歳まで付き合っていた恋人は、その甲東園に住んでいた。
理系の大学に通う同い年の聡明な女性で、見た目は派手だが芯のある人だった。
と、若干の思い出補正も込めて書いておこう。
同じ学習塾の講師仲間で、キャバ嬢のような金髪に清楚な白衣というアンバランスないでたちが目を引いた。
彼女は生まれも育ちも関西なのに、なぜか標準語でしゃべった。
一度、ふたりでご飯に行ったあと、わたしから付き合おうと切り出した。
彼女の顔が曇った。
「話してないことがあるの」
返事は次の日の夜中までおあずけとなった。
よからぬことが起こりそうな気配がぷんぷんと漂っていた。
わたしは西北に住んでいたため、お互いの家の間をとって、国道171号線、通称イナイチのいまは亡きTSUTAYAの前で会うことになった。
雪がふりそうな寒い夜だった。
「わたし、Fさんの浮気相手なの」
Fは同じ塾で働くひとつ年上の先輩で、Nという美人の彼女がいた。
わたしとNも同い年で、みんな友達同士だった。
つまり、わたしの想い人は友達の彼氏を寝取っちゃった困ったちゃんだったのだ。
よくある話である。
「Fとはもう会わないから、付き合って欲しい」
ガーンと頭を殴られたようで、しばらく何も言えなかった。
そして絞り出すように、白い息で「うん」と答えた。
イナイチ沿いにニシキタの下宿まで歩いて帰り、ベッドの上で泣いている彼女を慰めた。
うすいカーテン越しの月明かりに、彼女の白い肌が銀色に輝いて見えた。
後日、Fを塾の校舎裏に呼び出して、そういうことですから、と手短に伝えた。
野球で鍛えたガタイのいい先輩を前に足がすくんだ。
何も悪いことはしていないのだから堂々としていればよかったものを、わたしのチキンハートは踊り出す。
「運動会には来ないでください」と、震えながら言った。
アルバイトの仲間内で球技大会のようなものを企画していて、それがすぐ数日後に迫っていたのだ。
何も知らないNが不憫に思え、Fには何かしら理由をつけて欠席して欲しかった。
いま思えば、逆恨みのような感情も入っていたと思うが、当時のわたしは悪の元凶は彼だという考えに囚われていた。
わたしの恋人も表面上はNと仲良くしていたのだから、その欺瞞も許せなかったはず。
しかし、まだまだウブなわたしは、好きな人を悪の道から救い出す、と鼻息荒くヒロイックに振る舞っていたのだった。
結局、運動会はたち消えになった。
わたしたちの関係を知った周りが、いったん保留にしよかー、と気を遣ってくれたのである。
あの頃、みんなどんな気持ちだったんだろう。
我ひとり、嵐を呼ぶ男なり。
彼女はやや精神的に不安定なところがあった。
とはいえ、その多くはわたしの気を引くための演技だったように思う。
リストカットの痕を見せられたこともあるが、うすくシワのようなものが見えただけなので、おそらくは自作自演だろう。
もちろん本当のところはわからないし、当時は十分それにビビっていたのも事実である。
「別れたら広島のお寺に行って、何も言わずただただ泣いているところをあなたの両親に見つけてもらうわ」と、脅しのようなことを言われたこともあった。
「そうして身分を明かしたあと、あなたとの思い出話をじっくりたっぷり聞かせてあげるの」
まさか冗談と笑い飛ばしたが、どこか本当にやりかねない危うさも秘めていた。
わたしの部屋で別れ話をしていたときのこと。
その日、彼女はそっと席を立ち、キッチンの方へ姿を消した。
しばしの静寂のあと、カチッという音が聞こえた。
まさかと思いキッチンへ行ってみると、ガスコンロの前には思いつめたような表情の彼女が立っていた。
泣き腫らした顔でこちらを一瞥し、少しずつコンロのツマミを回してシューシューとガスを漏らし始めた。
泣いているものの、その目は真剣だった。
ガスの匂いが立ち込め始めた小さなキッチン。
この状況は、映画『コントラクト・キラー』で、ガス自殺を図った主人公がガス会社のストのせいで計画を断念するシーンに匹敵するシュールさだ。
これにはどうにも笑ってしまい、別れ話はまたの機会となった。
あるいはまた別の日、何度目かの別れ話の際には、ドライヤーのコードを首に巻きつけて、死んでやる、と叫ばれたこともあった。
彼女はエンエン泣いているのに、その光景はどこか滑稽でなおかつチャーミングだった。
悲劇と喜劇の女優のようで、思わず愛しさが溢れた。
少しのユーモアが世界を変える。
そうやって彼女はわたしを引きとめた。
立派な女優になれそうな彼女だったが、いまは製薬会社の研究職に就いているそう。
ちゃんとわかり合えていたかは、わからない。
それでも命を燃やして、心をゆらして生きていた。
あの頃の悲劇もいまでは喜劇のように思い出せる。
見つめて、手を伸ばし、抱き合って、終わりが来た。
人の心はわからないものだが、これまでもずっとそうだったし、これからもずっとそうだろう。
ぜんぶぜんぶ流れ出たあと、底の底のそのまた底に、きっと希望が残っているのさ。