コクトー

2005年12月から2012年3月までほぼ毎日、teacupというブログサイトで日記をつけていた。

年齢で言えば、20歳から26歳までということになる。

 

ブログを始めた次の日、恋人と別れた。

より正確に言えば、別れた恋人と「決定的に」別れた。

別れたあともしばしば連絡を取り合っていた彼女と、それ以来会うのをやめた。

やめざるを得なかった。

相手に新しい恋人ができたのだ。

 

有名な画家の孫であった彼女の部屋には、19歳の誕生日におじいさんからプレゼントされた絵が飾ってあった。

青い絵の具を足の裏で引き伸ばしただけのシンプルなその絵のタイトルは、たしか「蒼波」だったように思う。

白い無地のキャンバスに、真っ青な波が吠えるようにうねっていた。

 

床に無造作に置かれたその絵のまわりには、いつも埃がたまっていた。

彼女はきまって「あれは白波」といたずらっぽく笑った。

西陽さす窓際にふたり寝ころび、永遠の甘美さにひたっていた。

 

ブログを始めた日の晩、彼女にメールした。

返信は、一言。

「彼氏できた」

 

そのブログサイトは最近閉鎖された。

私の記事はすべて消えた。

別のサイトに引越しすることもできたが、しなかった。

傷を癒すかのように書き連ねた日記の、センチメンタルな残響にはうんざりだった。

 

私のトップページには、ジャン・コクトーの言葉が引用されていた。

“Les privilèges de la beauté sont immenses. Ils agissent même sur ceux qui ne la constatent pas.”

「美の特権は絶大である。美を認めない者の上にもその特権は作用する」

 

背伸びしていた過去の自分も、今の自分に地続きで、明日からもこの自分なのだと思うと、幻滅と同時に、愛おしさもまた込み上げてくる。

 

ふと、もう一度書いてみようと思った。

エッセイを通して過去の記憶を辿り、今の自分を措定してみたいのだ。

書くことで何かを生み出したいとも思う。

 

生きた証として。

世界に引っ掻き傷をつけるように。

甘い生活を待ちながら。