幼稚園の卒園文集の「好きな食べ物」の欄には「大根の味噌汁」と書いた。

大根とは我ながらシブい。

小学校の卒業文集の「いま思うこと」の欄には「カツ丼食べたい」と書いた。

こちらはシュールを気取ってひどくサムい。

ちなみに私の隣には、町内で同じく寺の息子であったT君の言葉があった。

「立派なお坊さんになってお父さんを助けたい」

編集した担任の先生の悪意を感じるが、それはこの際どうでもよろしい。

彼はいま立派なお坊さんになっているし、私はいまだにカツ丼が好きなのだ。

 

レアチーズケーキの上にかかったクランベリーソースが好き。

白と紫、定型と即興、コスモとカオスの対比はどこか詩的でさえある。

 

寒いのは嫌いだが「寒いね」と言い合うことは好き。

ビル風にさらわれないように、小さく掛け合う言葉があたたかい。

 

夏の夜の寝苦しさに足先で探るシーツの冷たさが好き。

つかの間の快楽を求める往復運動、夢と現のあわいにまどろむ。

 

詩とはなにか。

それはバランス感覚。

詩とはなにか。

それはつかず離れずの温度感。

詩とはなにか。

それはおそらく恋に似て。

 

しゃべりすぎてはいけない。

沈黙を、余白を、吸う息を、相づちを、微笑みを。

 

詩とは不可能なことを信じること。

奇想天外なところに出口が開くこと。

 

そうして彼女は去った、愛に似た何かを残して。